職場で活躍する未来の自分に期待し、意気揚々と入社したあの頃。
しかし、現実は仕事に悪戦苦闘し、上司との人間関係に疲弊する毎日。
がんばってもがんばっても給料が上がらず報われない。
職場の人たちとの人間関係が上手くいかず息が詰まりそう。
誰も自分のことを評価してくれない。
会社や業界の先行きが怪しく将来がとても不安。
夢や目標なんてとうに忘れ、現実というものに直面し仕事のモチベーションが低下するどころか、毎日生き抜くことで精いっぱい・・。
そんな状況に陥ったことはありませんか?

筆者も長年、低賃金・長時間労働のブラック職場に苦しんできました。
あまりにも辛くて「もう人生にピリオドを打ちたい」という衝動にかられ駅のホームに立っていた時期もあります。

今回は、そんな私でもほんの少し視点を変えただけで年収が1,000万を超え、家計資産が年間で800万近く増えるまでになった過程を時系列を追って書きたいと思います。

職場は生き地獄だった

公開処刑の毎日

当時勤めていた会社は、転職して5年目でした。

38歳の私は毎日が地獄でした。
30人ほどのフロアの一角にある打合せ机で、10歳年上の上司から説教を受けるのが日課です。
職場みんなからの視線を浴びる場所でです。

その頃、私はメーカーの技術者として、設計を担当していた部品の強度を検証し、その結果を報告書にまとめる業務を行っていました。
その上司の下に就いて2年目でしたが、クセの強い職人肌の人柄でどうも私とはソリが合いません。
作成した報告書にささいな誤記があれば延々と責め立てられ、修正したものを提出すると今度は別の箇所を指摘される。
まるでモグラたたきのようです。
来る日も来る日もその繰り返しでした。

私の落ち度

もちろん、上司からの厳しい指導を毎日受けていた私には改善すべき点が多分にありました。

製品不具合の原因調査にあたる技術者でありながら、不具合が起きたメカニズムを論理的に解明するスキルもなく、何ら根拠がないロジックで結論づけようとする。
当然ながら私が作成する報告書の中身は何も根幹がなく、説得力のある説明ができずに上司から次々に突っ込まれます。
私自身としては、自分なりに懸命に考えたつもりなのですが、内容に根拠が乏しいため読み手を説得できない。
おまけに勉強不足で、その仕事を進めるうえで最低限必要な知識が無いばかりか、国語力も低いため誤記も多い・・。

部下として2年目の私を上司が信用していないことは、もはや火を見るより明らかでした。

何が辛かったか

部下によって上司の態度が変わる

その上司には、私を含め3名の部下がいました。
部下の中で私が最も年上で、他の2名は私よりも6, 7歳年下でした。

何よりも辛かったのが、その上司が部下によって態度を変えることです。
私以外の部下に対しては、手厚く優しい指導でした。
「もうAくん(笑)、報告書のここ間違ってたから直しておいたよ」
「Hくん、俺に報告書出しておいてくれたらメクラで承認しておくよ」
といったように・・。

その一方で私が提出する報告書に対しては、一言一句厳しいチェックをされました。
その上司は私の隣の席なのですが、私の報告書をチェックしている間は、何度もため息をついたり舌打ちしたりと不機嫌な態度を露わにします。
そして、何か誤記があればその場ではなく、職場のみんなの視線が集まる打合せ机に呼び出され、1時間くらい指導を受けます。
報告書の内容について上司から質問を受けます。
その質問に対し私が説明しても、上司は目をつぶったまま頷きもせず、聞いてくれているのか聞き流しているのか判然としません。

他の同僚と比べながらの指導

上司はことあるごとに、「お前は給料に見合った仕事をしていない」だの、「チームの中でお前だけが成果を出せていない」と糾弾してきます。
こうした指導を30人の職場のみんなの前でされるのは、とてもコタえました。
そして何よりも辛かったのは、同僚と比較されることです。
たとえば、
「こんな仕事、AくんやHくんだったら秒で片づけるぞ」
「お前は彼らよりずっと年上だし給料も多いのに、そんなんじゃ困るんだよ」
といったように、ことあるごとに年長者の私を吊るし上げてきます。

私から見ても、同僚2人はとても優秀でした。
いろんな課題をテキパキと片づけていきます。
どんな課題にも意欲的に取り組み、次々に新しい仕事を任されていきました。

それなのに私はロクに仕事がデキず、ずっと同じ案件で停滞したまま。
職場みんなからの視線を浴びて緊張しているとはいえ、自分が作った報告書なのに上司にまともな説明ができない。
こんな情けない姿を職場みんなの前で晒されるのは公開処刑に等しいものでした。

上司からの厳しい指導を受けて私がうなだれるたびに、同僚や他のチームの人たちはニヤニヤしながら眺めてくる。
これまたこの上ない屈辱でした。

解決策を示してくれない

上司は事細かに私の報告書の誤記や、論理の拙さを指摘してきます。
しかし、どのように修正すればいいのかは決して教えてくれません。
たとえ聞いたとしても「それを考えるのがお前の仕事だろが!」と言ってきます。
ですので、私は自分なりに考えざるを得ません。
そして、自分なりに修正した報告書を提出すると、また指摘を受けるの繰り返しです。

それだけならまだマシです。
辛いのは、前回指摘をされなかった部分なのに、今度は指摘してくるというパターンでした。
もう切りがありません。

もはや解決策が見つからず、考えなければいけないことがネズミ算式に増えてしまう一方です。
何のために自分はこの仕事をやっているのか、この仕事がいつまでかかるのかと、もう呆然と立ち尽くすしかありませんでした。

自己否定の無限ループにはまる

来る日も来る日も報告書の修正、果てしなき説教、そしてまた新たな指摘と説教が続きます。
その上司の元に就いて1年後、私は報告書1ページを何週間もずっとやり直している状態に陥ってました。
朝から夜遅くまでずっと取り組んでいるにも関わらずです。

もはやこの私に職務遂行するための気力はほとんど残っていませんでした。

毎朝目が覚めると、とてつもなく鬱々とした気分になります。
頭の中は、ネガティブ思考で溢れかえってました。
「ああ・・今日もみんなの前で怒られるのか・・」
「オレは仕事がデキないダメなヤツなんだ・・みんなにとって迷惑なんだ・・」
「上司にとってオレは困ったヤツなんだろうな」

また説教を受ける一日が始まるのかと思うと、朝を迎えるのが本当に恐怖でした。

そして、休みの日も遅々として進まない仕事のことで頭がいっぱい。
テレビを見ても何も楽しくありません。
ごはんを食べても砂を噛むような感覚で味が分からなくなってしまいました。

休みの日は生きている実感もなく、無為の時間がただただ過ぎていくだけ。
まったく疲れが取れず、仕事に向き合う気力も湧かず些細なミスを誘発し、また怒られる・・。
果てしない悪循環に陥ってしまいました。

助けを求める

異動希望を申し出る

これまで述べてきたような状況が1年近く続き、私自身この職場の仕事に適性がないと判断しました。
そこで、私は課長(私の上司の上司にあたる)に事の状況を説明し、もうあの上司とは一緒にやっていけないと他部署への異動を申し出ました。

しかし、課長からの答えはNOでした。
当時私は30代終盤。
まだ若い年齢なら喜んで受け入れてくれる部署はあるが、もう30代後半の社員を受け入れてくれる部署はそうそう無い上に、課長自身ほかの部署にツテがあまりないことから私を推薦することができないのが理由とのことでした。

会社のパワハラ相談室に訴える

勇気を出して課長に異動希望を申し出たものの、無下に断られてしまいました。

そこで私はとっさに、会社の人事部パワハラ相談室にメールを送りました。
すると、担当者から返信メールが。
私が置かれている状況の聞き取り調査をするため、会社の隣町の喫茶店に来るようにとのことでした。

後日、指定された喫茶店に赴くと担当者2名がお見えになりました。
私はそこで、毎日公開説教を何時間も受けていることや、同僚と比較され能力を否定されている状況を事細かに説明したのです。
担当者は、「それはお辛いですね・・。パワハラに相当する可能性はありますね」と私に寄り添う言葉を投げかけてくれました。
ただし、これがパワハラとして成立するかは客観的な判断が必要なので、職場の関係者にもヒアリング調査を行うとのこと。
私が上司から受けている行為を目撃している人が誰なのか尋ねられたので、私は心当たりのある数名の名前を伝えました。
最後に担当者は、もしパワハラとして認められれば他の部署に異動させる配慮もすると述べ、その喫茶店での聞き取り調査は終わりました。

私の訴えで会社が動いてくれることになった。
公開説教を受ける私のことを目撃している人はたくさんいるから、パワハラを立証する証人となってくれるだろう。
そしたら念願の異動も叶うぞ!

私の中でかすかに希望の光が見えてきました。
この地獄から抜け出せる時がきたと。

しかし、人事部に訴えたこの行為が、のちに私の身を滅ぼすことになるのです。

とうとう出社不能に

飲み会で上司から浴びたトドメの一言

当時の職場では、年に3回ほど飲み会がありました。
喫茶店で人事部担当者からの聞き取り調査が行われて1週間ほど経った頃、職場での飲み会がありました。

その会は、とある居酒屋の座敷で催され、私は上司と同じテーブルの席となりました。
酒の席では仕事の話題ばかり。
私と同じテーブルのメンバーは大して趣味もなく、その話題ばかりでした。
仕事が全く進まず苦しい毎日を送っている私にとっては、とても苦痛な時間が流れます。
私は黙って酒を流し込むしかありませんでした。

そんな折のことでした。
酒が進んだ上司は、職場と同じように私に説教をしてきました。
「お前は自信がない態度が見え見え」
「お前の説明は支離滅裂」
「お前はメンタルが弱い」
などと酒の席でも、職場と同じようにネチネチ攻撃してきました。

私はその度に「はい、わかりました。すみません」と応じるしかありません。

そして上司はこう言いました。
「もう俺はお前の面倒見切れんので、これからは一人で仕事してくれ」
私も酔っていましたが、上司からのこの言葉は毒針のように私の心の奥深くまで突き刺さったのです。
もう私は上司から見放された・・。
人事部のヒアリング調査が職場に入るのを待たずして、奈落の底に突き落とされました。

心療内科に駆け込む

上司から突き放された飲み会(金曜)の翌週である月曜を迎えました。

私の足は会社ではなく、病院に向かっていました。
もう私は生きるか死ぬかの限界点に達してました。

心療内科は多くの人で混雑していました。
世の中こんなに多くの人たちが苦しんでいることを思い知らされます。

1時間以上待った後、医師に自分の置かれた状況を説明しました。
夜も満足に寝れないこと、朝を迎える恐怖に毎日苦しんでいること、何もやる気が起きないこと。
あるがままを話しました。

下された診断は「うつ病」でした。
そして、診断書を職場の上長に渡して会社を休むよう勧められました。

翌日、私は勇気を出して朝早い時間に会社に赴き、課長に診断書を提出しました。
課長は私がそこまで苦しんでいたのかと驚きの表情を見せましたが、休職することを了承してくれました。
そして、担当していた業務の引継ぎはしなくていいと言われました。
私の仕事はそれほどまでに、止まっても会社に影響が出ないレベルだったのでしょう。

こうして4ヵ月に及ぶ休職期間が始まりました。

休職期間に味わった辛さ

休み始めは至福だったが

緊急避難的に会社を休むことになり、上司からの威圧に怯える毎日から解放されました。
休めば元気になるだろうし、人事部が配慮してくれて異動させてくれるかも知れない。
そうすればもうあの鬼上司に顔を合わせなくて済む。

そういう期待を胸にのんびり毎日を過ごしました。

当時私の子ども2人は幼稚園に入る前の幼児でした。
これまでずっと仕事詰めでまともに向き合えなかったのですが、この休職期間は一緒に散歩に行ったり公園に遊びに出かけたりと一緒に過ごすことができました。

毎月1回は会社に行く必要

休職を延長するには、医師から診断書をもらい、職場の上長に休職願いを届ける必要があります。
他の会社はどうなのか分かりませんが、当時の勤務先では毎月ごとに診断書を提出しに会社に赴く必要がありました。
「すみませんが、今月も休ませてください」と課長に頭を下げて診断書を受け取ってもらうのです。

毎月やって来るこの日がとても憂鬱でした。
課長は職場で一番出社時刻が早いため、まだ他の人たちが出社する前に課長だけに会うことができるのは幸いでしたが、そこは私が毎日苦しんでいた「現場」です。
職場で苦しんでいたあの感覚がどうしても蘇ってくるのです。

いま思えば、会社に郵送で診断書を送ればよかったのかも知れません。
しかし、当時の私にはそんな知恵がありませんでした。

パワハラ相談室からパワハラを受ける

休職に入って2か月半が経ったある日のことでした。
人事部パワハラ相談室から連絡が入りました。
上司とのトラブルのヒアリング調査結果が出たとのことで、会社の人事部に来るよう要請されました。

結果に期待しながら、私は人事部に赴きました。
私との面会に臨んだのは、喫茶店での聞き取り調査に来て下さった方々ではなく、その方々の上司にあたる人たちでした。

報告された調査結果に私は愕然としました。
「あなたが受けた上司からの一連の指導はパワハラに該当しません」
とのことでした。

引き続いて、相談室の人から説明が始まりました。
この判断は、職場のメンバーに聞き込み調査を行ったうえでの結果とのこと。
聞き込み対象は合計7名で、課長、私の上司、同じチームの同僚2名、ほか同じ職場の3名。
いずれの人からも、上司があなたに対して威圧的な態度や不適切な行為をしていたという証言はなかった。
職場の皆さんからは「むしろあなたに問題があり、厳しい指導を上司から受けて当然では」とあなたの業務遂行レベルを問題視する声もあった。

私にとってはとてもとても辛い説明でした。
もちろん私に至らぬ点があったのは日頃の指導が物語っている通り、重々承知していたつもりです。
それにしても私にとっては、厳しく辛い結果報告となりました。

その中で私がどうしても納得できない点がありました。
ヒアリング調査の聞き込み対象者に、喫茶店で私が希望した人たちが入っていなかったことです。

その点について私が抗議をしたところ、
「あなたは相談室に今回の調査を一任すると言ったでしょ!」(私はそんなこと聞かれたこともないし、私は一言も言っていないのだが)
「あなたうつ病なんでしょ?だれを聞き込み対象にするかなんて適切な判断できますか?」
「この調査結果を問題視するなら、マスコミでも何でも出るところに出てもらって結構です!」
声を張り上げながらこう言われました。

屈辱的な言葉を浴びせられ、私はその場で人目をはばからず嗚咽しました。
38歳の大の男がです。

パワハラ相談室は、立場の弱い私たちの味方ではないのか?
パワハラ相談室は、結局のところ組織を守るための手先でしかなかったのか?
パワハラを立証する材料がなかったとしても、職場で苦しむ社員がいたことは事実。会社に行けなくなるほど追い詰められた社員が助けを求めてきたのに、その相談室の人たちがあんな言葉を浴びせるなんて血も涙もないのか?

私は絶望し、家路につきました。
その夜、私は幼子2人の寝顔を見ながらもう涙が止まらなくなりました。
「この子たちをこれからも食べさせていくことができるのか」と、不安で押し潰されそうになりました。

職場から電話が入る

パワハラ相談室から報告を受けてから半月ほど経った頃だと思います。
もう休職期間が始まって3ヵ月ほどの頃でした。
課長から電話がかかってきました。
「最近はどう?」と私の様子を尋ねる会話から始まり、今後のことで話し合いました。
前の上司と引き離すため、私を隣のチームに移る計らいをしてくれることが分かりました。

別の部署に移るという私の当初の希望は叶わなかったものの、その上司と直接関わることはなくなるという次善の策を取ってくれることになったのです。
長引く休職期間で収入が大きく減り、妻にも不安を与え苦労をかけている状況であることから、これ以上休職している猶予はないという自覚も手伝って、私は数週間以内に職場に復帰する旨を課長に伝えました。

職場復帰後の苦しみ

4ヵ月ぶりの職場

休職期間は4ヶ月に及びました。
久しぶりの職場は緊張でした。

私が元上司から受けた指導をパワハラだと訴えたことは、職場の大勢の人たちが知っています。
人事部によるヒアリング調査が行われたのですから。

復帰初日から職場の空気がおかしいことに気づきました。
元上司は私と顔を合わせようとしません。
同じチームだった同僚2名も私と目が合うのを避けているようでした。
新しい上司は、私を腫れ物に触るように接してきます。

それでも給料をもらうためにここで働かなくてはならない。
休職期間も寝てばかりであまり育児に関われず、妻には本当に迷惑をかけてきた。
お金の面でもこれ以上苦労をかける訳にもいかない。
なんとか自分を奮い立たせ前を向いて行く決意をしました。

職場で広まっていた誹謗中傷

復帰してから1か月も経っていない時期だったと記憶しています。
仕事で関わりのある他部署の人とお話をする場面がありました。
そこで彼は、私が休んでいる間に職場では私の陰口が広がっていたことを教えてくれました。

主に次のような内容とのでした。
「仕事投げ出して休んでズルいやつ」
「パワハラされたと人事に泣きついたらしいけど、怒られて当然のレベルじゃん」
「アイツはいつも無駄話ばかりして仕事してなかったよな」

私がいない間、あること無いことを陰で言われていたことを聞かされました。
私が人事部に訴えたことや仕事を残して休職したことに対し、職場の人たちに悪い印象を与えてしまったようです。

もはや私は職場で完全に孤立していることに気づいたのです。
組織にたった一人で立ち向かったものの、全く歯が立たず敗れ去った私の末路は惨めなものでした。

昇格レースから脱落

そして、さらに追い打ちをかけることが起きます。
私と同時期に中途入社した社員に、昇格試験の案内が届きました。
それどころか、私より2年も後に中途入社した後輩にもその案内が届いたのです。

しかし、私にはいっさい声が掛かりません。
課長に聞くと、私が休職したことがアダとなったようです。

そして彼らは全員昇格試験に合格しました。

私はそれまで先輩風を吹かせていた相手も自分より先に昇格しました。
私を追い越して昇格した後輩は、私を無視するようになりました。
視線が合うと、私を憐れむような目で薄ら笑いすら浮かべます。

あの屈辱は10年近く経った今でも忘れられません。

職場に行けば毎日、元上司が同じ空間にいます。
トラウマだけでなく、自分だけが昇格レースから脱落した屈辱感に苦しめられます。
他の人たちは私を遠ざけ、極力接してこないようになりました。

私がいない時は、きっと私の悪口を言っているんだろう・・。
どんどん膨らむ被害妄想に苦しめられました。

私があんなに苦しんで休職せざるを得なくなったのに、上司は謝罪のひとつさえしてくれない・・。
周りの人たちは私に同情するどころか、悪口を言っているんだろう・・。
私は会社に対する憎悪を持つようになりました。
そして家に帰れば妻に職場のグチを吐いたり、まだ就園前の小さな子どもたちにツラく当たったりと、荒んだ毎日を繰り返すようになりました。

妻が倒れる

家事も育児もヤル気が起こらず、家のことは全て妻に任せるという状態が職場復帰から1年近く続きました。

翌年の夏のことでした。
その日の夜、妻と一緒にテレビを観ていた時のことです。
妻が急に「動悸が止まらない・・」と訴え始めました。
身体を横にしても収まる気配がないため、救急車を呼びました。
病院に運ばれ、応対した医師からは不整脈と診断されたのです。

翌日退院した妻から、実はずっと精神的にしんどかったと言われ、心療内科で診察してもらいました。
そこで診察を受けたところ、妻は「不安障害」と診断されました。
精神状態が不安定な私を毎日目にし先行きが見えない上に、家事育児の負担を全て背負い心身ともに限界に追い込まれていたのです。

私はそれまで自分のことで精いっぱい。
妻が倒れるまで家族に相当な負担を掛けていることに全く気付かず、みんなに辛い思いをさせていたことが本当に申し訳なかったです。

産業医から転職を勧められる

職場復帰してから産業医との面談というものが数か月ごとにあります。
妻が倒れた出来事をその産業医に話す機会がありました。

自分の不甲斐なさに対するイライラで子どもにはツラく当たってしまうこと。
家事育児を投げ出し妻に負担をかけたてきたこと。
職場では孤立していること・・。

何もかも洗いざらいに産業医に打ち明けました。
すると産業医は意外なことをアドバイスしてくれました。
「こんなに大変なことをよく素直に正直に話してくれたね。もうこんな会社やめてもいいんじゃないかな。そんな素直なあなたならきっと良い職場は見つかるだろうし、あなたは正直な人だから周りの人が寄ってくると思うよ。会社での勝ち組が人生の勝ち組とは限らない。ある会社の役員が入院したことがあったんだが、お見舞いに来る人がいなくてとても寂しい人だった。それに、出世して管理職やっている人たちだって、これまで何も大した成果出してきてないよ。周りと比べて苦しむ必要なんかない」
といったお話でした。

あのメンタル崩壊から10年~私の現在地~

職を転々とした

産業医から転職を勧められてから3か月後、私はその職場を去りました。
もっと小さな会社に転職することにしました。
職場で完全に孤立してしまい、もはや逃げざるを得なかったのです。

2018年、39歳の春に転職しました。
しかし小さなその会社もこれまたブラックでしたね。
電子化が遅れ紙ベースでの非効率な作業、長時間労働は当たり前、ノウハウが継承されず次々と繰り返す不具合、離職率が高く教えてくれる前任者がもういないなどとても苦労を強いられるばかり。

その会社でも再びメンタルを壊してしまい2ヵ月間休職せざるを得なくなったこともあります。
結局その小さな会社も7年ほどしか働くことができませんでした。

職選びの失敗で気づいたこと

なぜ私が選ぶ職場はことごとくブラックなんだろう。なぜ私は仕事がデキないんだろう・・。
来る日も来る日も自問自答する毎日でした。
そしてあることに気がつきました。

私は職選びに失敗していたのだと。

私は自分のスキルに見合った仕事選びや会社選びができていませんでした。
転職サイトの求人情報のみに頼って、行き当たりばったりの転職を繰り返していたのです。
そして、私には「会社を見極める眼力がない」という結論に至りました。

そこで私は転職エージェントを通して転職先を探すことにしました。
転職エージェントというのは、自分のこれまでの経歴や経験そして保有するスキルを登録すれば、専任のコンサルタントが自分に見合う会社を紹介してくれる仕組みです。
彼らは業界に精通した転職のプロです。紹介先の企業との太いパイプがあるため、その会社の良い面だけでなく悪い面にも熟知しており、求職者が会社選びをする上で重要な情報を提供してくれます。

ちなみに転職エージェントのサービスは無料で利用できます。これが非常に助かりました。転職エージェントは求職者の転職先から年収の3割程度の金額を受け取るビジネスモデルのため、求職者は一切の負担なくサービスを利用できるのです。
つまり、転職先の給料が高ければ高いほど転職エージェントの売上げも増える仕組みなので、転職エージェントは好待遇の求人を積極的に紹介してくれます。

私は転職で年収を上げたかったですし、自分のスキルに見合う会社を自分で見極める目が無かったことから、「転職のプロ」である転職エージェントを利用することにしました。

「プロ」に任せたら年収1,000万超え実現

こうして転職エージェントのおかげで、私の経験やスキルに見合った会社に転職することができました。
46歳の春のことです。

40代後半の転職でしたが年収は300万円以上アップして1,000万円を超えました。
かといって私の勤務先は、東京や大阪のような大都市の企業でもなく、トヨタやパナソニックのような一流企業でもありません。
愛知県北端の田舎にあるメーカーです。

それに、年収1,000万円超えたと言っても私に役職はなくただの平社員です。
張り切ってバリバリ仕事をしているわけでもありません。
しかも私は仕事がデキるわけでもありません。
(これまでの社会人人生で私は一度も「優秀」と言われたことはありません。一度くらい言われてみたかったですが)
おそらくこの先も優秀と言われることはないでしょう。
私は上の人から指示されたことしかしないスタンスですし、これからもこのまま変わらないと思います。

いまのこの会社に来るまで「年収1,000万円は、とてつもなく高い壁」だと思っていました。
達成するには管理職になるか、超有名な一流企業に入るか、特殊なスキルを持った優秀な人じゃないと無理だとずっと思ってました。

繰り返しますが私はいまも平社員です。
これまでの会社の時からスキルは変わっていませんし、いまの会社でも優秀と言われたことはありません。
それなのに年収はこれまでの会社の管理職をも上回る1,000万円を超えました。
私のスキルはこれまでと変わっていないのに、いまの会社は高く買ってくれたのです。
これはつまり、給料というのは「能力」ではなく「場所」で決まるということです。

この「場所」に私を導いてくれた「転職のプロ」たる転職エージェントにはとても感謝しております。
なぜなら、転職エージェントから紹介されなければ、多くの人たちが知らないであろうこの「場所」を自分では絶対に見つけることができなかったのですから。

ぜひ転職エージェントに登録してはいかがでしょうか?
専任コンサルタントのアドバイスに従いご自身のスキルを徹底的に言語化すれば、きっと新たな転機が訪れるはずです。
がむしゃらに馬車馬のように働く必要はもうありません。
あなたのスキルを高く買ってくれる「場所」をプロに探してもらえば、私のようにほどほどの働きでも好待遇を手にすることは十分可能なのです。
みなさんのスキルを一番高く買ってくれるのは今の会社とは限らないのですから。

「プロ」に任せたら家計資産が年間800万増加

その道のプロに任せれば道は開ける。
前に述べたように、転職活動で得た私の教訓です。

これは資産運用にも同じことが言えます。
私は社会人になって15年以上もひたすら銀行に預金することで貯蓄してきました。
しかし、バブル崩壊以降、日本のメガバンクは超低金利状態でした。
銀行に預けてもスズメの涙ほどの利子しかつきません。
コンビニATMで引き出すと、手数料で一瞬のうちに利子分は吹き飛んでしまいます。

毎月の生活費だけでなく、これから子どもたちの教育費にも多額のお金がかかる。
30代後半でメンタル崩壊し会社を4ヵ月休んだ要因として、上司とのトラブル以外に、この超低金利の状況下で家族を支える資産形成をしていかなければならないという重圧も少なからずありました。
そこで、このまま盲目的に銀行にお金を預けるだけでは家計の持続性がないと判断し、私は40歳頃からプロやAIに資産運用を任せてみることにしたのです。

そこで、それまでに貯めてきた現金を以下の2つに分配することにしたのです。
・投資のプロであるファンドマネージャーが運用する「投資信託」
・AIが運用する「WealthNavi」という企業の商品

その一例として、「WealthNavi」での私の運用状況を以下に示しましょう。
(2026年4月18日現在)

棒グラフはこれまでの投資額で、折れ線グラフが評価額です。
リターン率は驚異の90%超え。これまでの投資額の2倍近くに資産が膨らんでいることがお分かり頂けると思います。

このように、これまで「現金」として保有するのはやめ、世界の経済成長に連動する商品を買うことで、私が寝ていても遊んでいても、いつの間にかお金が増えるような仕組みを作ることにしたのです。
つまり、お金に働いてもらう仕組みを手に入れたのです。
こうすることで、自分の時間を切り売りして手にする「勤労所得」だけでなく、世界中の人たちの頑張りの成果によって手にする「不労所得」も得られることで、2025年の1年間で我が家の家計資産は800万円近く増えました。
決して倹約生活を送っていたわけではありません。
家族で沖縄や関西万博へ旅行もしましたし、折からの物価高でコメなどあらゆる生活必需品の価格が上がって、生活費などの出費は例年よりも大幅に増加しました。
それにも関わらずここまで資産が増えたのです。

「メンタルは消耗品」~私が辿り着いた境地~

私はもうがむしゃらに仕事を頑張るのはやめました。
若い頃のように、不可能に挑戦するようなリスクは取らないようにしました。
ですので、できなさそうな仕事は「私にはできません」と正直に伝えるようにしています。

そうするようになった理由は、過去にメンタルを壊してしまった経験があるからです。
メンタルは一度壊してしまうと、完全には治ることはありません
一旦壊してしまうとクセになり、また負荷がかかると壊れやすくなるのです。
見た目ではこれまでのように元気に見えても、ココロにはアザのように痛みがどこかに残ったままなのです。
100%のパフォーマンスを出そうとすると、過去のトラウマが蘇りまた壊れてしまいかねません。

そのため、「無理をしない」安全運転で仕事を進めていくしかないのです。
無理を強いられるくらいなら、もうこの職場を去るしかないと割り切るしか術がありません。
身体は唯一の資本です。
会社のために無理して壊れても、絶対に誰も責任を取ってくれません。

そんな会社のために働いて自分が犠牲になるくらいなら、できない仕事を断って評価が下がる方が1000000倍マシです。
無理して身体を壊して働けなくなったら元も子もありません。
仕事のために人生を棒に振るなんて本末転倒なのですから。

おわりに~私は世の中の不条理に抗いたい~

優秀な人材を活かせないこの社会

私は大卒ですが、実質的には中卒程度の学力しかありません。
今までいちばん勉強したのは高校受験の時です。
高校ではほとんど勉強せず落ちこぼれて不登校となり、多浪せざるを得ませんでした。
やっと入れた大学は、マーク試験で大した点数も取れずに受かってしまう無名私大。
そんなレベルの大学でも講義に全然ついて行けず留年してしまい、テストは中身を全く理解せず過去問の丸暗記で卒業するのが精一杯でした。
そんなレベルの学生でしたので、新卒の就職活動ではことごとく不採用。
周りの人たちが社会人生活をスタートさせる中で私だけが無職でした。

無職とはいえ無収入では生きていけません。
そこで26歳になった2004年春、私は実家から通う形で、東京・江東区にあった運送会社の物流倉庫でトラックの荷下ろし作業のバイトをすることにしました。
夜勤12時間の仕事で時給は1,500円。
そこで出会った人たちの中には、京都大学や慶応大学を卒業してアルバイト生活を送る40代のおじさんたちがいたのです。

休憩時間に彼らとお話をする機会が何度もありました。
お話をすると世の中のいろんなことや歴史に関する様々なことを、分かりやすくユーモアも交えながら丁寧に私に教えてくれるのです。
会社勤めをした時期もあったようなのですが、上手くなじめず今は月収20万に満たない生活をしているとのこと。
もう40代のフリーターなのでどこの会社も雇ってくれないだろうなと自虐を込め話していました。
彼らはいつも要領よくテキパキと現場で働いている姿が印象的で、こんな優秀な人たちをアルバイトとして埋もれさせてしまうこの社会の欠陥を目の当たりにしたのです。

その後、私が就職して会社員として20年以上生きてきたのですが、私と出会った職場の人たちはほとんど全員が私よりずっと優秀でした。仕事の教え方も要点を得ていてこの私でも理解しやすく、また上司への進捗報告も皆さん的確で簡潔なものでした。

そんな優秀な人たちが、低賃金・長時間労働のブラック職場にもたくさんいました。
みなさんそれでもあくせく働いているのです、家族を支えるために。
彼らは要領を得ず長ったらしい私の説明も、「つまりこういうことだね」と一言で的確に集約してくれました。
仕事のスピードも速い人たちでしたが、ある人は長時間労働に疲弊してしまい会社に来れなくなったり、ある人は先輩や上司からの仕打ちに耐え切れず退職に追い込まれたりして行きました。
会社にとって大きな損失なのに当然のように誰も責任を取ることはなく、潰した人は何食わぬ顔で後釜の人を探す光景を目にしたものです。

中卒レベルの基礎学力しかなく、学生時代のアルバイト先でも「使えねえ」と先輩方からイジメられてきた私なんかより、潰れた人たちは誰もがずっと優秀だったのに・・。

「バカ」どもが支配するこの社会

今までいろんな職場を経験してきましたが、クラッシャーと呼ばれる人たちをいったい何人見てきたことでしょう。
常日頃の圧力で部下たちを潰してしまう人たちのことです。
自分の優位的立場を利用して周りを威圧し、それに迎合する部下たちは可愛がる一方で、従わない部下はあらゆる手を使って潰しにかかる。
これは人間の一種の性(さが)かも知れません。
戦場でも兵士たちが丸腰の民間人に残虐な行為を働いてきたことは歴史が証明しています。

私の上司だった人たちの中には、プレーヤー時代は優秀だったのに、マネージャーになってからは部下を育てるスキルに乏しくチームとしての成果が出せない状況に陥っている人も数多くいました。
中には偉ぶるばかりで何もせず、降格となった人もいます。

「名選手に名監督なし」とはよく言ったもの。私の周りでプレーヤーとしてもマネージャーとしても優秀だった人はほとんどいなかったように思います。
優秀でないだけならいいのですが、実現不可能な事業計画を立てて社内を混乱させたり、業務効率化の目的で進めた改革のせいで逆に非効率になったり、あやしいコンサルと提携して事業部の赤字が増えてしまったり、とんちんかんなマネージャーが数多くいました。

世の中見渡しても同様のことが言えるのではないでしょうか。
裏金作りに明け暮れる政治家たち、それを取り締まれない権力の犬と化した検察、増税に次ぐ増税で国民を貧しくさせる財務省、飲酒運転や200キロ近い猛スピードで人をひき殺しても「危険運転致死罪」の判決を下さない裁判所、貧困に苦しむ母子家庭を救わない一方で海外には何兆円もお金をバラまく日本政府・・。
こうした行為や判断をする人たちは、多くが東大を始めとする一流大学を出た「優秀だったはず」のエリートなんですよ?
なぜこんなバカげたことをしてしまうのでしょう。

元が「バカ」だから人の上に立てるのか?人の上に立つと「バカ」になってしまうのか?
イチ平社員の私なんぞには分かりませんが、こんなバカげた人たちがこの社会を支配しているのは事実です。
こんな社会だから若者は夢を持てず、安易に金を稼ぐためにユーチューバーとかトクリュウに走るのではないでしょうか?
会社においては、上に立つ人たちは「どうしたら社員がイキイキと働けるか」を考えるべきなのに、自分の立場や権力を守ることに終始しているからイノベーションが起こらず、日本経済は衰退の一途をたどるばかりなのではないでしょうか。

がんばりが報われるお手伝いをしたい

前で述べましたが、私は優秀な人たちが「バカ」どもに潰される光景を何度も見てきました。
潰された人たちは、この社会をよりよく発展させようと一生懸命勉強して学校を出てきた人もいれば、会社や家族のために必死に働いてきた人もいました。

こんな優秀で誠実に働いてきた人たちを潰す「バカ」たちは、何の責任も感じることなく今日も平然と職場に姿を現すことでしょう。こんな社会であっていいのでしょうか?

私はひたむきに世の中のために働きながらも、職場で苦しんでいる方々を救いたいのです。
一生懸命働いているのに安く買いたたかれ低賃金に苦しんでいる人を救いたいのです。

私もかつて同じような苦しみを長い間味わってきました。
もちろん「お金が全て」ではありません。
ですが、お金が増えるきっかけさえ掴めれば、これからの人生の展望が開けるはずです。
10年前のある時期に働けなくなったことがある私の経験をベースに、少しでもそのヒントを提供すべく記事を書いていきたいと思います。
せっかく何かのご縁があって私の記事を見つけて下さったのですから。

ここまで読んで下さりありがとうございました。